きいろいせいかつ

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【闘病史】#4「バズと誕生日と13種類の薬」2018.1.13

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 最近はとかくメモを取る。

 脳トレ70歳と診断された私の記憶力は伊達じゃない。

3度目のバズ

 私は正直なところ、「ブログ」に関してもさほど詳しくもないし、「ももクロ」に関しても熱心な追っかけをしているわけではない。

 それでも、このネット上で出会った人々、特に「モノノフ」と呼ばれるももクロのファンの温情に触れ、ブログを開設したのを覚えている。

 私がももクロを彼らに教えてもらったのも、約1年ほど前。

 病を患っていることもあり、タイムリーで情報を追えないことの方が多いので、彼らの寛容さにはおおげさに言わずとも涙が出るほどであるし、大病を患った私を、孤独から引っこ抜こうとしてくれているのも彼ら「モノノフ」と呼ばれる人々である。

 

www.vivi-blo.com

 

 昨日のエントリーははっきりいってバズったと思う。

 ちょっと「タイトル」で釣った感は反省するところではあるが、多くの人の目に留まったことは嬉しい限りだ。

 また、予想以上にいろいろな意見が聞けてよかった。

 記事内で取り上げた番組に興味を持ってくださった方が多数で、私の記事なんてほんの「さわり」程度、本当に素晴らしい番組であったので、是非ご覧になってほしい。

 再放送が 2018年1月20日 にあるそうなので、スカパー! 視聴環境のある方はオススメしたい。

 その頃には、上記エントリー「後編」もアップされている予定なので、そちらも合わせて視聴するとより理解が深まるかもしれない。

 

 ただ、今回のバズもあまり気持ちの良いものではなかった。

 一番最初のブログで書いた記事がいきなりバズって、気が動転してしまったのは忘れられない。

 たくさんのコメントや意見が流れるように私のもとにやってきて、それに押しつぶされた思い出。

 特に私のような病人、心身ともに安定しない心の持ち主にとっては「みられる」「読まれる」にも、ある程度のキャパシティがあることに、今回も気づかされた。

 そうなんだ、私は大きな数字が苦手なのだ。

 それでも、ブログを書きやすいようサポートしてくださっている方々、応援してくださっている方々のためにも、ある程度のシェアや宣伝をしていかないといけないのは、なんだか歯がゆい。

 それでも素直に喜ぶべきだろう。

 

 正直、ガヤガヤしているのは、私の身体にもよくないと思われるので、もてはやされることは、うれしい悲鳴ではあるが、この1週間でまた自身の調子を整えてやらなくてはならない。

 逆に言えば、調子を崩しても、また書くことができるのならば、私は何人に読まれようが、書くことさえできれば幸せだ。

 そして、私を今も支えてくださる唯一の【見えない同士】「モノノフ」のためにも、私はこれからもちょこちょこと「ももクロ」の記事を書いていくつもりだ。

 

母の誕生日、翌日は弟の誕生日

 そんなバズが起こることもつゆ知らずの早朝、私は12日に55歳を迎える母と、13日に誕生日を迎える弟のためにサプライズプレゼントを食卓のテーブルの椅子に上にこっそりと忍ばせた。

 陽が昇れば、必ずダイニングに現れるはずの2人……であると予想していたのだが、のちに確認したところ、誰1人として、椅子を引いた様子はなく、閑散としたオレンジとグリーンの袋が悲壮感を醸し出していた。

 

 仕事から帰ってきた母はわかりやすかった。

 私が拠点を置いている二階にドタドタと無遠慮に上がり込み

 

「うれしい! 欲しかったんだ、手袋! 本も嬉しい! 袋もかわいい!」

 

 となんだか女子高生みたいにキャピキャピしていた。

 

「ちょっとボリューム下げようか」と頭に霞んだものの、うむ、心が若いというのは素敵なことであるし、何よりも「喜び」をしっかりと相手に伝えることのできる母親のコミュニケーション力に感嘆したものだ。

 

 それにくらべてどうだ、我が弟よ。

 私とたまたまダイニングですれ違ったとき、

「ああ、ありがと」

 と無愛想に礼を述べた。

「何が?」とすっとぼけたように返すと、

「てぶくろ」とこれまた一言であっさりと返された。

 まぁ、確かに誕生日が1日早い母親と一色たんにプレゼントを渡してしまった私にも非はあるが、 あまりにも無骨すぎる。

 さらに彼はこうも言った。

 

「もう手袋買ったんだよね。しかも全然使わないんだよね」

 

 一瞬「殺気」すら芽生えた気がしたが、私は昨年12月にドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読破した男。

 このような無慈悲な男に対しても「赦(ゆる)し」の気持ちを抱くことに決めた、歯を食いしばりながら(キィィィィィィ)

 

 私が彼らの誕生日を祝福する意味は

「いつもありがとう」のきもち

「迷惑かけてごめんね」のきもち

「大切な日を忘れてないよ」のきもち

④「すぐになんでも忘れてしまう私の脳を冴えさせたい」きもち

 いろいろである。

 

 手袋というなんともないプレゼントだったかもしれない。

 しかし、私にとってはとても良いお金の使い方だったなと、嬉しい思いでいっぱいだ。

 このような気持ちは、忘れないようにしたい。

 

13種類20錠の薬

 私が一日に飲む薬は、13種類以上、錠剤数の換算だと20錠以上にもなる。

 筋肉を緩ましたり、逆に緊張させたりするもの、気持ちを安定させるものから、胃や肝臓にアプローチするもの、睡眠に関するものまで様々だ。

 これを1日も欠かすことなく、5年間飲み続けている。

 しかしながら、改めてこれらの薬を並べて眺めて唖然としていると、「嗚呼、そうなんだ、これいくら飲んでも治らねえんだ」と、毎日思うのである。

 ここまでくれば、私の「気持ち」「心」「思いやり」などのあたたかみのある精神的な情動すら、人工的につくられたもののような気もして、寂しい夜を迎えることもある。

 そして、「人前にはあまり出ないで、自分のペースで、ゆっくりと」と5年間、医師に言われ続け、何が答えか、行くべき道は何処かと方位磁針をあちこちに向ける。

 しかし、それはいつ見たって同じ方向を指している。単に壊れているのか、それともこの道で正解なのか、それを判断してどう進むかは、私にとっても、あなたにとっても同じ課題であり、大きな選択肢である。

 私は可能性が1ミリでもあるのなら、脳がサイボーグ化してしまっても、「たまいびび」として最後まで命を全うする。

 自死などもってのほかだ。

 今はまだ、方位磁針が信用できない。

 だからこそ、今できること、きっと今できることは、今思っていることを書くことだ。

 それが伝わらなくても、勘違いされても、きっと私はすべてを「赦(ゆる)す」

 バズっても、バズらなくてもいい、私はわたしのために書く。

 そして、「私」というカテゴリーの中には、こんなちっぽけな存在である私を応援してくださる「あなた」も含まれる。

 

「私」を大切にすることは「あなた」を大切にすることだと思う。

 

 永遠に道しるべが見つからなかったとしても、私はここでの読者に出会えたことを感謝しつづけることだろう。

 

 さぁ〜て、ウォーキング・デッドでもみ〜よっと🧟‍♀️