ぶらり たまいびび

おさんぽ番組

ぼくのオリジナル

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でっかい存在

 幼少期のことはよく覚えている。

 いわゆる「戦隊モノ」はあまり関心がなく、もっぱら「ゴジラ」とか「ウルトラマン」とか、とにかく”でっかい”存在に憧れていた。

 保育園に行くと、まず、朝から、当時テレビで放送されている「〇〇戦隊〇〇レンジャーごっこ」が早速皆の間でスタートする。

 わたしはそれに関心がないのだけれど、クラスのボス的存在の奴(そいつは卒園するまで赤レンジャーだった)が、引っ込み思案で無関心な私を引っ張り出し、黄レンジャーかピンクレンジャーに任命する。

 戦隊モノごっこなんかに女の子が参加するわけはなく、それでも5人揃えたい即席レンジャーたちは、主張をしないわたしをこぞって女子役の黄レンジャーやピンクレンジャーにさせたがる。(今となっては、黄もピンクも悪くはないな)

 わたしは決まってそれを抜け出し、職員室の机の下へ避難し、「ゴジラ」の絵を描いていた。

 多分、友だちはいなかったと思う。

 うん、記憶にない。

 

 ばあばの家に帰ったら、おじさんが残していった「キン消し」やら「ガンダム」のガチャポンフィギュアなどを、お気に入りのゴジラ&メカゴジラ人形で葬り去るのが何よりの快感だった。

 ゴジラやウルトラマンの映像を見ていても、ヒューマンドラマ的な要素は正直わからないし、興味がないのでほとんど寝ているかボーッとしていて、ゴジラの鳴き声やウルトラマンの「ジュワッチ!」が聞こえたらパッと目を覚まし、自分のことのように応援していた痛い子。

 多分、自分は怪獣か宇宙の子だと考えていたと思う。

 

たいようさんへききたいこと

 忘れもしない。

 おそらく、3歳〜5歳の間くらいの頃だったと思う。

 ばあばの家の階段で、例の「ゴジラvsキン肉マン」をやっていたときのこと。

 階段の真ん中のあたりで、その激闘は繰り広げられていたのだが、階段を登り切った先にあるベランダの方から、太陽の光がちょうどわたしをスポットライトに当てるかのようにのぼった。

 わたしの中での「正午」のイメージはあのときの太陽だ。

 わたしはゴジラの暴走をしばし制止させ、やがて、ぼとりとそれらの人形たちを手から落とした。

 その照りつける太陽をぼんやりと眺めて、目をひそめながら、こう思ったのである。

 

「たいようさん、なぜぼくはうまれてきたの?」

 

 今でもその心境はよく覚えているし、まるで幽体離脱したかのように俯瞰でもイメージできるくらい、神聖な気持ちだった。

 このような哲学的な疑問は、この先の人生で考えたことはない。

 なぜうまれてきたか、などという不毛な疑問は、考えるだけ時間の無駄である。

 ただ、

 なぜあのとき、あの歳で、あんな質問が浮かんだのかと、不思議に思うことがある。

 

 物事の判別がある程度つくようになったとき、母に何気なく言われたことがある。

 

「まぁ、あんたはデキ婚で生まれてきたから」

 

 こんなリアルなことを言われたら

 なるほど

 あの疑問はこのことなのかな

 と解釈したこともあったが

 人が生まれるなんて意味を考えることでもないし

 どんな生まれ方でも

 生命の誕生は尊いものとして解釈しよう。

 

 ただ

 あのときにぼんやりと見上げた太陽の存在感と

 なかば

 自然にうまれてきた思考は

 今でも忘れることができない。

 

オリジナルをつくるということ

 えっと、何の話だったかな(笑)

 

 先日、ボブ・ディランのインタビュー記事を読む機会があって、

 嗚呼、ものすごくいいこと言ってるなぁと思って心にささった。

 それはこんな言葉だったような気がする。

 

「好きなものや、いいと思ったことはどんどん楽しめばいいし、取り入れればいい。でもそればっかりやってると、コンテンツに振り回されるだろ? それじゃだめなんだ」

 

 所謂「オタク」の人たちは、何か好きなアイドルや、アニメや、家電やら、なにかしらのコンテンツに特化して楽しめる人たち。 

 そういう考え方が、わたしにはどうしてもできなくて、広く浅く「いろんなことを知りたい」という考えの方がわたしは強い。

 それができない私だから、「オタク」的思考に憧れている側面もある。

 もちろん「オタク」的思考から「オリジナル」を作り出す人もいる。

 そうなったらきっと最強だ。

 

 ボブ・ディランは特定のアーティストにリスペクトを寄せてはいるものの、彼のオタク的な要素は「作詩」であったり「作曲」などのアクティビティに向けられているのかな、とわたしは思った。

 

 そういう人が、いちいちかっこいい。

 

 きっと時代もあるのだろうけれど、今の時代はとにかくコンテンツだらけだ。

 だからこそ、真の「オリジナル」というものを発明するのは、この上なく難しい。

 

「書くこと」と「描くこと」

 わたしのことに限っていえば、

 幼少期からよく褒められたことは「描くこと」について。

 街のコンクール、お父さんの絵では3連覇したことがある。

(つまり、おっさんを描くのがうまいということだろう)

 色鉛筆セット 電動鉛筆削り 水彩絵の具セット

 が商品だったことも覚えている。

 さらに、小学1年生のときに描いたバッタの絵が

 県の特選に選ばれ、卒業式の日まで戻ってこないということもあった。

 

「書くこと」に関しては、わりと大きくなってから評価してもらう機会に恵まれた。

 高校生のときの夏休みの宿題で、短編小説を書いてくるというものがあった。

 わたしは、当時本をほとんど読んでこなかったので、どうしたらいいかわからぬまま、夏休み最終日に一気に書き上げたものが、何らかの賞にひっかかった。

 図書券を1万円くらいもらった気がするが、本をとにかく読まなかったので(漫画すら読まなかった)、妹にポイとプレゼントした。

 医療の専門学校に通っていた時、患者に対するレポートを書く練習があったのだが、その書き方がさっぱりわからず、自分の思うがままに書いていたら、

「これ小説みたいでおもしろい」

 と先生に爆笑され、徹底的に指導された。

 それから、読み手が読みやすい文章についてよく学んだように思う。

 病気をしてからは、やることがなかったので、エッセイのコンクールに応募してみた。

 それがいきなり賞に引っかかり、ちょっとした仕事ももらえた。

 伝えたいことや考えることが増えたため、書くという作業におもしろみを覚えるようになる。

 

 そして今、オリジナルを考える

 なんとなく”でっかい”存在になりたかった幼少期(身体もチビだったしね)

 

 本能的に、なんとなくやってきた「描くこと」

 未だ本質はとらえられないが、それがみえるまで続けていきたい「書くこと」

 

 たまに、自分の才能について考えることがある。

 

 わたしはわたしの作品をつくり出すことが使命なのかな、と思うことがある。

 

「使命」だなんて、ちょっと傲慢な気もするけれど、

 それくらい

 たとえそれが世に出払わなくとも

 自分のオリジナルを作り出すことに楽しみや喜びを覚えるはずだ。

 

 だれかの真似事や

 受け売りでは

 満足できない自分がいることは

 はっきりとわかる。

 

「描くこと」と「書くこと」

 どちらが自分のオリジナルを作り出すのにベストなのか…

 

 自分でイラストを描いて、TwitterやInstagramなどで発表することがあるが、

 病気をいいわけにしたくはないけれど、

 自分では全く満足いかなくて、歯がゆいくなることが多い。

 

 それでも、

 わたしの絵を求めてくれる人

 特に

「あたたかみがある」

 といって評価してくださる人がいることにいつも驚いている。

 

 自分では気持ち悪いと思っていることも

 他者のフィルターを通した私の絵は

「あたたかい」

 らしい。

 

 逆に

 文章に関しては

 たまーに

「あなたの文章のファンです」

 と言ってくださる超優しい人たちがいる。

 

 文章は、絵や写真などと比べると、直接的に、感覚的に届かないため、

(読むのも正直面倒くさいもんね)

 伝えることの難しさを日々感じる。

 

”だからこそ”のことなのか

「書く」ことの楽しみやおもしろみは

 しっかり読んでもらったときにしか伝わらない。

 ちょっとMっぽいな(笑)

 

 それでも、個人的には今は「描く」ことよりも「書く」ことの方が好きで、その難しさからか、難解なパズルを解いていくようで楽しい。

 

 わたしの病とからめると

 脳の使い方が変わって来たんだろうなとも思う。

 絵は右脳的

 文章は左脳的

 大人になればなるほどに、左脳優位になっていくんだろうな。

 でもやっぱり

 絵を描いていると

 時間を忘れて没頭できるほど楽しんでいる。

(それもちょっと、わたしの身体的には考えものだけれど)

 

 

 ボブ・ディランがいうように

 コンテンツに流されていかないよう

 オリジナルをどうやって奏でればわたしは満足するのか。

 

    そう、わたしが満足できるかだ。

 

「ゴジラ」や「ウルトラマン」から始まった人生。

 行き着く先は、私がつくりだす「強大」な”何”か。

 

 それがなんなのか、

 自分には想像もつかないし、

 人に聞いても答えにならない。

 

 コンテンツだけではなく

 たとえば

 泥にざぶんとつかってみたり

 蝉の声を集中して聞いたり

 ふんわりとした海風に触れたり

 そんな自然の有り様から

 何かヒントが得られればいいな。

 

 楽しいことを

 やりたいことを

 制限なく

 めいっぱい

 できれば幸せだ。

 

 今は制限が多すぎて

 楽しいことも

 嬉しい時間も

 ちょっとだけ

 我慢して少しだけ

 

 そんな

 しがらみや制限や禁忌などの鎖から

 抜け出したい

 

 全力で生きたい

   本気を出して生きてみたい

 

 ながい

 ながい

 ひとりごと

 

 おしまい

 

 現場で会おうZ!!!!!

 

 たまいびび